【コラム】「腹立たしい気分もあった…」富野由悠季が『ガンダム』著作権を譲渡した理由とは?。 〔盧善英~格差~業態〕

1 :芹沢健吉 ★:2017/10/18(水) 20:35:49.00 ID:CAP_USER

https://i1.wp.com/i.imgur.com/BnCOt57.png livedoorNews:http://news.livedoor.com/article/detail/13763131/

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/8/4/84e0b_760_2099115_20171017_165000_size640wh_7249.jpg
アニメ界を創世記から支えてきたアニメーション映画監督・富野由悠季。
日本を代表するアニメ作品『機動戦士ガンダム』の原作者としても知られる富野氏を直撃取材。
『ガンダム』が世界に誇る作品に育った理由や、その著作権の行方など、知られざるエピソードを聞いた。

【写真】 ユニコーンガンダム立像、台場に立つ

■自分自身が“生き延びるため”、オリジナルを手に入れるしかなかった
アニメ業界に入った当時を「TVアニメの仕事というのは社会で最底辺といってもよい仕事でした」と振り返る富野氏。
フリーになって青色申告をする際、5、6万円の経費を認めてもらうのに一苦労するほどだったとのこと。
「僕は30歳を過ぎて子供がふたりいましたが、40、50の年齢を超えていけるのか、果たして60歳に辿り着けるのか不安でした。
当時は出来高払いの仕事で、このままだと地獄だというのは目に見えていました」。
そんな時、高畑勲、宮崎駿といった質の違う人と出会えて、こんな人もいるのか!? と衝撃を覚えたと述懐する。

「高畑さんは東京大学出身でアニメの仕事をやっていて、当時の環境からしたら本気? と思いました。
しかも、東大を出ている人がムキなって僕に『アルプスの少女ハイジ』の話をするわけです(笑)」。
それを見た時、職業としてアニメの仕事をやってもいいのかな、と思えたと同氏。

その頃、富野氏はいろんな現場の仕事をしていて、自分の居場所もなかった。
そんな時、日本サンライズという会社に虫プロから独立した人たちが集まってきており、「結局こういう場所でやるしかないだろう」と日本サンライズで働くことに。
当時、日本サンライズは新興会社のため、世界名作劇場のような割のいい仕事はとれない。
富野氏は「だから巨大ロボットものでやっていくしかありませんでした。
それで、ロボットものの仕事をしながら、自分はこのまま50、60歳までやれるのか…。
だったら、自分のオリジナルアニメを手にいれるしかない!」と考えたようだ。
http://www.oricon.co.jp/news/2097723/photo/1/?anc=193

1票の格差、松江支部は合憲判断 昨年衆院選、14件目の判決

「腹立たしい気分もあった…」富野由悠季が『ガンダム』著作権を譲渡した理由とは?。 〔水~CAP_USER+livedoorNews~芹沢健吉〕

1 :芹沢健吉 ★:2017/10/18(水) 20:35:49.00 ID:CAP_USER

https://i1.wp.com/i.imgur.com/BnCOt57.png livedoorNews:http://news.livedoor.com/article/detail/13763131/

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/8/4/84e0b_760_2099115_20171017_165000_size640wh_7249.jpg
アニメ界を創世記から支えてきたアニメーション映画監督・富野由悠季。
日本を代表するアニメ作品『機動戦士ガンダム』の原作者としても知られる富野氏を直撃取材。
『ガンダム』が世界に誇る作品に育った理由や、その著作権の行方など、知られざるエピソードを聞いた。

【写真】 ユニコーンガンダム立像、台場に立つ

■自分自身が“生き延びるため”、オリジナルを手に入れるしかなかった
アニメ業界に入った当時を「TVアニメの仕事というのは社会で最底辺といってもよい仕事でした」と振り返る富野氏。
フリーになって青色申告をする際、5、6万円の経費を認めてもらうのに一苦労するほどだったとのこと。
「僕は30歳を過ぎて子供がふたりいましたが、40、50の年齢を超えていけるのか、果たして60歳に辿り着けるのか不安でした。
当時は出来高払いの仕事で、このままだと地獄だというのは目に見えていました」。
そんな時、高畑勲、宮崎駿といった質の違う人と出会えて、こんな人もいるのか!? と衝撃を覚えたと述懐する。

「高畑さんは東京大学出身でアニメの仕事をやっていて、当時の環境からしたら本気? と思いました。
しかも、東大を出ている人がムキなって僕に『アルプスの少女ハイジ』の話をするわけです(笑)」。
それを見た時、職業としてアニメの仕事をやってもいいのかな、と思えたと同氏。

その頃、富野氏はいろんな現場の仕事をしていて、自分の居場所もなかった。
そんな時、日本サンライズという会社に虫プロから独立した人たちが集まってきており、「結局こういう場所でやるしかないだろう」と日本サンライズで働くことに。
当時、日本サンライズは新興会社のため、世界名作劇場のような割のいい仕事はとれない。
富野氏は「だから巨大ロボットものでやっていくしかありませんでした。
それで、ロボットものの仕事をしながら、自分はこのまま50、60歳までやれるのか…。
だったら、自分のオリジナルアニメを手にいれるしかない!」と考えたようだ。
http://www.oricon.co.jp/news/2097723/photo/1/?anc=193

会社の同僚にバレンタインチョコを貰いたくない男性は約7割 「お返しに困る」

【テレビ】加藤浩次、地下鉄BGMは「余計なお世話」。 〔ガンプラ~ガンダム~日本放送協会〕

1 :たんぽぽ ★ :2018/01/30(火) 11:42:29.86 ID:CAP_USER9

https://i1.wp.com/i.imgur.com/AVK8i6i.png https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180130-00000057-dal-ent
デイリースポーツ

 お笑いコンビ・極楽とんぼの加藤浩次が30日、日本テレビ系「スッキリ」で、東京メトロ日比谷線の車内で試験的にBGMを流すというニュースに触れ「余計なお世話だよ」と困惑の表情を浮かべた。

 番組では、全国初となるBGMを日比谷線車内で限られた時間に試験的に流すという報道を取り上げた。BGMはクラシック音楽で、水卜麻美アナウンサーは、今後の広がりについては「色々な意見を元に、他の路線に拡大するかを検討するということです」と説明した。

 だがこのVTRが終わった瞬間、加藤は「いらないよぉ。みんな曲の趣味あるもん」とバッサリ。ロバート・キャンベル氏も「いらないよね」と同調すると、加藤は「みんなヘッドホンで好きなの聞いてるもん。いらないよ、余計なお世話だよ」と改めてコメント。電車内BGMにはいらないと主張していた。

hitomi、第3子出産後、42歳現在の体重明かす「産後の体重で1番太りました」

「腹立たしい気分もあった…」富野由悠季が『ガンダム』著作権を譲渡した理由とは?。 〔水~CAP_USER+livedoorNews~49.00+ID〕

1 :芹沢健吉 ★:2017/10/18(水) 20:35:49.00 ID:CAP_USER

https://i1.wp.com/i.imgur.com/BnCOt57.png livedoorNews:http://news.livedoor.com/article/detail/13763131/

http://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/8/4/84e0b_760_2099115_20171017_165000_size640wh_7249.jpg
アニメ界を創世記から支えてきたアニメーション映画監督・富野由悠季。
日本を代表するアニメ作品『機動戦士ガンダム』の原作者としても知られる富野氏を直撃取材。
『ガンダム』が世界に誇る作品に育った理由や、その著作権の行方など、知られざるエピソードを聞いた。

【写真】 ユニコーンガンダム立像、台場に立つ

■自分自身が“生き延びるため”、オリジナルを手に入れるしかなかった
アニメ業界に入った当時を「TVアニメの仕事というのは社会で最底辺といってもよい仕事でした」と振り返る富野氏。
フリーになって青色申告をする際、5、6万円の経費を認めてもらうのに一苦労するほどだったとのこと。
「僕は30歳を過ぎて子供がふたりいましたが、40、50の年齢を超えていけるのか、果たして60歳に辿り着けるのか不安でした。
当時は出来高払いの仕事で、このままだと地獄だというのは目に見えていました」。
そんな時、高畑勲、宮崎駿といった質の違う人と出会えて、こんな人もいるのか!? と衝撃を覚えたと述懐する。

「高畑さんは東京大学出身でアニメの仕事をやっていて、当時の環境からしたら本気? と思いました。
しかも、東大を出ている人がムキなって僕に『アルプスの少女ハイジ』の話をするわけです(笑)」。
それを見た時、職業としてアニメの仕事をやってもいいのかな、と思えたと同氏。

その頃、富野氏はいろんな現場の仕事をしていて、自分の居場所もなかった。
そんな時、日本サンライズという会社に虫プロから独立した人たちが集まってきており、「結局こういう場所でやるしかないだろう」と日本サンライズで働くことに。
当時、日本サンライズは新興会社のため、世界名作劇場のような割のいい仕事はとれない。
富野氏は「だから巨大ロボットものでやっていくしかありませんでした。
それで、ロボットものの仕事をしながら、自分はこのまま50、60歳までやれるのか…。
だったら、自分のオリジナルアニメを手にいれるしかない!」と考えたようだ。
http://www.oricon.co.jp/news/2097723/photo/1/?anc=193

福士蒼汰 インスタ女王と熱愛か